最近、10年ぶりくらいに、目を瞑って後手をやる、いわゆる目隠し(目瞑り)緊縛に嵌まっている。
元々後手に関しては自分で完璧に納得などしたことなどほとんどないんですよ。
(これが長年講習会を拒んできた理由。始めちゃってるけどw)
時に納得の後手が出来たとしても、それがずっと続いていないうちは、“出来た”のではなく“出来てしまっただけ”。
魚釣りで言えば、“何か分からないけどあの辺に投げてたら釣れちゃった”ってヤツ。
話を戻すと、今やっているのは目を瞑ってのタイムアタック。
これだけを聞くと、ショーパフォーマンスの向上くらいにしか思えないかもしれないけど、意図は全く違う。
今は練習だと言って付き合って貰ってるけど、練習での目標は、目を瞑っていることもタイムアタックをしていることも受け手さんに悟られないレベル。
ベタベタ体を触りながら確認していくのでは意味がないし、バタバタと大慌てで縛っても意味がない。
最終的な目標は、譜面から目を離さず優雅に弾きこなすピアニストのような緊縛。
っとその前に、何故これを始めようかと思ったかについても話さなければですね。
最初に書いた通り、後手に関しては満足などほとんどしたことがないので、常にレベルアップは考えている訳です。
そしてそれは、大抵の場合、手順の変更であったり、小さなマイナーチェンジであったりする訳ですが、そこでふと、基本に立ち返ってみた。
「てっちゃん、モノ縛ってんねやないんやから…」
縄を持ち始めたころ、蒼月さんに私の縛りを見て貰ったことがあるのだが、その時に言って貰った一言は生涯忘れることはないだろう。
※人をモノ扱いすることは大好きなんだけど、今はそういう話じゃないことをご理解くださいw
私自身、ずっと人に言い続けてきたことなのだが、良い縛りというのは、どれだけ相手を見ていられるかで決まる(写真のための縛りやショーのための縛りは除く)。
相手から伝わる小さな情報を一つでも多くキャッチし、その情報を如何に処理していくか。
それは次の一手に関わるとても重要なファクター。
そのためには、縄目なんか見ている暇はない! のです。
だから私は基本的に、いつも相手のうなじ辺りを中心に、腕や脚の小さな動きを見ているつもりでいたんだけど、最近気がつけば縄目を追っている自分がいたりすることに気づいた。
これは、マイナーチェンジを繰り返してきた結果、いつの間にか縄のテンションや留めの正確さに比重が多く掛かってしまっていたためだと思われる。
もちろん、これらのことは、事故や意図せぬ不快感を防ぐためにはとても重要なファクターであることは言うまでもない。
ただ、そのために、もっと重要なことが疎かになっていたのでは意味が無い。
(事故しないことが目的なら縛らなければ良い。絶対に事故りません)
ということで、縄目から視線や意識を切り離すために、10何年かぶりに、目瞑り緊縛を再開することにしたのである。
そして何度かやってみたところ、面白いことが分かってきた。
10何年か前にやってた時には見えていなかったことが、今は沢山見えるようになってきたということだ。
前回やっていたころは、ただ縄目を視線で追わずに縛れるようになりたいだけ(相手を見るためという目的は同じ)だったので、筋肉や骨の位置をベタベタと何度も触って確認しながら縛っていたのだが、それでは意識は自分の指先にしか向いていないということ(現在もこれに近い状態)。
縄のテンションは目を開けているより瞑って触っていた方が分かりやすいこともあるということ。
(これを指先から意識を離しながら確認するという難題にぶつかっていますw が、要は確認の必要なんかなくなるほど上手なってもうたらええっちゅー訳やね)
それともう一つ。
視覚から入ってくる情報は余りにも多くて気づきにくいんだけど(これは上のテンションの話も同じですね)、声や大きな身じろぎなどの分かりやすいものばかりではなく、筋肉の小さな痙攣(ピクってやつね)や、息を呑む様、ほんの小さな下半身の動きなど、相手から情報は沢山届いているということ。
(これが目を瞑っていると、こんなにも多いんだと気づいた)
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ここで敢えて脱線するんですが、声というのは非常に厄介な情報です。
つまり、気持ち良い時の声と、ただ痛い時の声と、痛いけど気持ち良い時の声と、痛いけどもっと頑張りたい時の声などを正確に判断出来る人など絶対にいないということです。
(他にも、くすぐったいとか、むず痒いとか色々ありますね)
ところが、目を瞑ってみて分かったのは、その小さな違いに、普段よりは気づきやすいということ。
(違いが分かってくるだけで、それが上記のどれに当て嵌まるのかまではまだ判断出来ていません)
もちろん、私も全てを完璧に理解することなど不可能だと思います。
特に初めて縛った人など、分かる訳もないですから。
ですが、今までよりは、その違いを分かるようになり、当初想定外だったことも含め、これはとても有効な手段であると思い至りました。
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再び話を戻しますが、それくらい目を瞑って縛る(縛ってみる)ということは有益であると考えます。
タイムアタックについては、自分なりの目標タイムはあるものの、そこに拘ってはいません。
これは、如何にスムーズに無駄な動きを省くかということのためだけにやっていることなので、誰より早いとか、何分切ったから俺すげー!とはなりません。
強いていうなら、ゆっくり縛られるのと、モタモタ縛られるのでは受け手の受ける印象(特に不安感)が大違いなことから、今よりもっとスムーズさを増すためだけのものです。
喩えていうなら、気がついたら縛られ終わっていた。という状態。
これは相手のスイッチを入れてしまえば良いだけの話だと言われてしまいそうですが、そういうことではなく、受け手本人も気づかないレベルの小さなもまで含め、全くストレスを与えること無く縛り終えることが出来るようになりたい(やるかどうかは別)ということです。
ここを説明するのはとても難しいんですが、一言で言えば、気づけばいつの間にか脱がされた! を、縛りで出来るようになりたいのです。
つまりどういうことかというと、相手の服を脱がす行為に喩えると、相手のスイッチを強引に入れることで出来る“いつの間にか”は、言わばレイプ紛いに服を破り捨てるようなもの。
相手は危機感や恐怖心から時間感覚を失い、“いつの間にか”裸になっているかもしれません。
もちろんSMですから、そういう感じの縛りももちろんありだと思います。
が、“それしか出来ない”は嫌な訳です。
で、私が今やりたいことは、ノーマルさん達wの言う、“いつの間にか”。
緩やかな川の流れのようにというか、やはり喩えるなら上級のピアニストの優雅な演奏のように…が一番しっくりきます(ちょっと喩えがかっこ良すぎるけどw)。
ですが、そもそも縛るということは何であるのか?
意識すべきところはどこであるのか?
優れたクラシック奏者は譜面を忠実に再現することこそ目的なので、基本的に譜面から全く目を離しません。
指が覚えているから大丈夫などとは言わず、演奏中でも絶えず譜面から新たな何かを得、作曲者の意図を更に深く読み取ろうと意識を集中します。
優れたロックアーティストはお客さんを楽しませる、または何らかのメッセージを伝えたかったりするので、基本的にはお客さんの反応に意識を向けます。
では、縛り手はどこに意識を向けるべきなのでしょう?
縄目や自分の指先などでないことは明白です。
久しぶりにやってみて、これはとても有効であると確信したので、多くの方に実践して貰えればと願っています。
Thank you very much.