――ん?大丈夫か?――
その人が入って来た時の第一印象だ。
その人は入り口の壁に手をついて、もぞもぞと靴を脱ごうとしていた。
スタッフが慌てて手を貸している。
そこから席までも時折壁に手を着きながら席までの短い距離をゆっくりと・・・本当にゆっくりと歩いてきた。
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最近、同世代の方とお話をしていた時のこと、その方は既に、身内と呼べるような人間もいず、悠々自適な生活を送りながらも、言葉の端々から「もう年だし女は諦めた」的な発言が多々見受けられる方だった。
そこで私はふいに、フジイさんのことを思い出したのだ。
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――小さなおじいさん――
人生の大先輩であり、ましてやお客様である方に対して持って良い感想ではない。
――フジイです――。
その方は少し聞き取りにくい小さな声でぼそぼそとそう名乗った。
見えづらいだろうと申し訳ない気持ちになりながらアンケート用紙にご記入いただく。
お名前などの達筆な字が目を引くが、「好きなプレイ」欄の「緊縛」に○が付いているのは見逃さなかった。
その後、私は一人の女性を縛ったあと、フジイさんの席にご挨拶にいき、そこでようやくお話が出来た。
「縛りがお好きなんですか?」
「ええ、まぁ・・・」
「何年くらいなさってるんですか?」
「んー・・・まぁざっと50年くらいかなぁ・・・」
50年!
緊縛歴50年!
半世紀だよ。半世紀!
(30前後からだったそうで、後で分かったところだと、実は60年近い)
当時の私はまだ40代(後半)、御年84才(88だったかもw)を迎えられるフジイさんは、私が生きてきた年数よりも長く縛っているってことだ。
「昔はねぇ・・・」
フジイさんによると。
昔は今に比べてもっともっと、ずっとずっと、そんなことを話せる人はいなかったそうだ(当たり前ですよね?)。
そんな時代、フジイさんは何かの本で見た緊縛の絵や写真に取り憑かれた。
だが、オーラルセックスでさえ変態扱いをされていた時代、周りに縛らせてくれる女性などいるはずもなく、見つける手段さえなかった。
「そこでね、キャバレーに通って仲良くなったホステスにね、頼むんですよ。少しお小遣いをあげてね。もちろん、ちょっと仲良くなったくらいでお願いなんて出来ないよ。けど、何度か食事に行って、少しずつ仲良くなって、お互いのプライベートの話なんかも出来るようになった人の中でも、この人ならって人にだけね」
そういう話を恥ずかしそうに・・・、いや、何ならガキのころの非行歴でも告白するかのような様子で話してくれた。
聞けば誰にも習ったことがある訳もなく、絵や写真以外は誰の縛りも見たことがない。
そんなものが普通に見れる場所があることも習える場があることも、そのお年になられるまで知る由もなかったというのだ。
もちろん、世にSMショーというモノがあるらしい。くらいのことはご存じだったそうだが、そんなものは特別な旦那衆やよほどの好事家が行くモノで、自分のような一般人が出入り出来るなんて想像すらしなかったという。
「へぇ~・・・自分から? あんな若い綺麗なお嬢さんが・・・」
まして、今目の前で見たような、自らの意思で縛られたい(わざわざ金を払って縛られに来る)女性がこの世にいることなど、現物を見た今でも信じられないという。
そこから、フジイさんは月に一度くらいのペースでアルカ東京に来てくれるようになった。
そこで、人生の大大大先輩が、私に縄を分けて欲しいと言い、私に縛りを教えて欲しいと言う。
脚を悪くされ、どこかを支えていないと独りで立っていることも困難な老人が、それでもなお「女を縛りたい」と願う。
それは滑稽なことですか?
それとも、こんなものはただの醜い妄執ですか?
私は、死ぬまで“男”でありたいと願い続けるその姿に、今でも強く強く憧れています。
その後フジイさんは半年ほど来られなくなり、久しぶりにお顔を見せてくださった時に、暫く脚が更に悪化して立てなくなっていたんだと仰っていました。
「堂山さん。あのね。あの後ね、堂山さんに教えて貰った縛りをね、したんですよ。キャバレーの馴染みの娘だけどね。またいつものようにちょっと小遣いあげてね。 やっぱり良いよねぇ。縛られた女はねぇ。なんか、堂山さんに教えて貰った通りにやったら、女のヤツもいつもよりもちょっと良さげでね。こう、恥ずかしそうにしやがって・・・」
その時のフジイさんの、少年のように無邪気な笑顔を、きっと私は生涯忘れることが出来ません。
全くの我流で、恐らくは50年以上もの間、年に何度もない緊縛の機会を大切に、一縄一縄、本でも見ながら「あーでもない、こーでもない」と縛って来られたであろうフジイさんは、上下の胸縄だけとはいえ、恐らく生まれて初めて自信たっぷりに縛ることが出来たんではないかと思い、私は本当にこの人に出会えた奇跡に感謝をしました。
こんなことがあるから、SMバーはやめられない。
女が死ぬまで女であり続けるように、男だって死ぬまで男でいて良いんです。
フジイさんには、残念ながらその後一度もお会いすることが出来ていません。
きっと脚が限界でもう出歩けなくなってしまわれたのではないかと推察しますが、せめてお達者でいてくれればと願うばかりです。
そして私は、いくら周りからみっともないと笑われるようなことがあろうとも、フジイさんのように、死ぬまで女の前で格好良くありたいと願う“男”でありたい。
フジイさん
貴方にご注文いただいた縄は、今でも大切に保管していますよ。
世の全てのスケベジジイに幸あれ。